Voice 留学体験談
1年間のアイルランド留学
岸野 了子さん
PROFILE
ご職業 | 社会人 |
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国・都市 | アイルランド、ダブリン |
期間 | 48週間(2018年8月) |
学校 | セダ カレッジ |
参加プラン | アイルランド 語学研修プログラム |
留学のきっかけ
留学へ行く1年前に思いつきで1人で海外に行き、その時が初海外旅行で日本語は通じない中苦労しました。現地の人はとても優しく、英語で話しかけてもくれましたが、当時英語が分からない私にはさっぱり理解が出来ず、申し訳なさと悔しい気持ちになったという苦い思い出がありました。また、留学へ行く前はラジオ番組制作の仕事をしていたのですが、海外で生活してみたい!という夢と英語を身につけて自分のできることを増やしたいという思いがあり、出発を決めました。
ダブリンに決めたきっかけ
もともと音楽(特に洋楽)が好きで、せっかく留学へ行くなら「音楽の街」と呼ばれるダブリンで英語を学びたいと思ったのがきっかけです。街中には多くのパブがあり、パブの中にある小さなステージから音楽が聞こえてきます。昼間からでも人が多くみんなビールを片手に音楽を楽しんでいたのは楽しい光景でした。また、大通りではストリートミュージシャンも多いのですが、ギター弾きながら歌うシンガーだけでなく、路上なのに!?と思うほど本格的に機材までと準備したロックバンドや、ジャズバンドなどあまり日本では見ない「ストリート感」が新鮮でした。
ホームステイの生活
ホームステイはアイルランドに到着してから最初の1ヵ月だけでしたが、ほとんど英語が話せずの状態からのアイルランド生活スタートの場でした。本当に言葉が通じず困らせた点は多かったことかと思いますが、積極的にいろんな話をしてくれて、本当に困った時はGoogle翻訳を活用してくれるなど親切にしていただきました。晩御飯はみんなで食べたり、この家の10歳の男の子が日本のアニメが好きだったりボードゲームが好きで一緒に遊んだりと団欒の場は多かったです。朝食の時、必ず飲むのが紅茶です。紅茶は朝食のときのみではなく、毎食後、また休憩中などかなりの頻度で紅茶を飲むので、スーパーにもティーバック大体100個入り1箱で紅茶が販売しています。また、必ずミルクもたっぷり入れて飲むのが定番のようです。日本で購入するより安く手に入るので実際紅茶漬けの毎日でした。
シェアハウス
滞在中は2つのシェアハウスに住みました。ひとつめはmix bという現地に住む日本人の投稿サイトがあり、そこで「帰国の為入居者を探しています」という投稿から、家の見学に行って入居を決めました。ふたつめは帰国する友だちからする友だちから声がかかりその家にすることになりました。ひとつめの家はモンゴル人の家族が住んでいるフラット(アパート?)の一部屋を自室として借りる形式でした。キッチンが共有スペースですが、小さい子供がいる為という理由で使用可能な時間が10時から18時と決まっていてとても不便でした。ふたつめの家はイタリア人、フランス人、アフリカ人とのシェアハウスで、この家のルール的なものは特に無く、共有スペースの掃除は気付いた人がやるといった形式でもありみんな綺麗好きのため気持ちよく過ごせました。
友だちや学校
語学学校内ではクラスメイトはとてもフレンドリーな人が多く中米・南米出身者が多く、ブラジル、チリ、パナマ、メキシコ出身の友だちがたくさんできました。私が帰る前日に「今度は私の国に遊びにきてね。私の家はあなたの家よ。」と言ってくれてるほど仲良くなったチリ人の友だちとは休日はハイキングに行ったり、パーティーに誘ってもらったりと声かけてもらっていたので別れるのがとても寂しかったですが、今でも時々連絡を取っています。日本の学校のイメージとは全く違い、板書をするだけの授業だけでなく、テーマに沿った自分の意見の発表の場があったり、時には言葉を使ったゲームで授業が行われるなど先生をみんなで囲みながら行う授業のスタイルが新鮮でした。アイルランドは比較的日本人の留学生が少ないと言われる為か大体10人中日本人は私1人、ブラジル人が半分ほど、次にメキシコ人などスペイン語圏の人が多かったです。
一番印象に残ったこと
スーパーの店員さん、バスの運転手さんなどで笑顔で楽しそうに働く人たちと出会えたことが一番印象に残っています。「笑顔」「挨拶」当たり前のことかもしれませんが、これを忘れず日々生活することで日本に帰ってきた今でも楽しく過ごしています。それまでは自分の目の前にあるのものが全てだと思って過ごしてた気がしますが、新しい世界へ踏み出すきっかけになりました。結果、経験は自分の中で大きな財産になり、自分に自信が持てるように成長出来たのではないかと思います。たくさんの親切な人に出会い国籍は違えどみんな隣人なんだなと、人の温かさを知った留学生活でした。私が周りの人に優しくしてもらったように私も誰にでも優しくなれる人間になろうと思いました。